21世紀の着物──和綿という「シン・スタンダード」 〈野衣〉永井泉のしごと
Share
〈野衣〉という屋号で染織家として活動されている永井泉さん。
永井さんは和綿を栽培し、その綿を手紡ぎ・手織りで反物へと仕立てています。
モノは語る
先日、染織家・永井泉さんに制作していただいた着尺(着物一着分の反物)が届きました。

そして永井さんの反物には、多層的な「来歴」が含まれています。
原料となる綿花を自ら育て、糸を紡ぎ、布を織る。
原料の生産者と制作者が一致しているという点で、その素性は非常に明確です。
いわゆるトレーサビリティという言葉で語るなら、これ以上ないほど明瞭です。
どのような素材が、どのような工程を経て形になったのかを語れることは、工芸作品において大きな力になります。
私たちは永井さんの反物を通して、制作者の身体感覚に触れ、さらにその向こうにある素材──大地へと視線を伸ばすことになります。
栽培から反物の完成に至るまで、工程のほとんどは手作業です。
綿繰り、綿打ち、糸紡ぎ、染織、機織り。
機械を介さず、人の手で積み重ねられる時間があります。
そこには手仕事特有のリズムや揺らぎがあり、布の中に時間が織り込まれていきます。農産物であり、工芸品であり、日常の用に供されるものでもある。複数の文脈が重なり合い、反物そのものが一つの複雑な構造体として立ち上がっています。
結果として、永井さんの反物からは、多くの言葉が自然と立ち上がってきます。

このようなものを身にまとうことができるということ。
出自が明確であるということ。
素材と大地とのつながりを、身体感覚として受け取れるということ。
そうした複数の感覚が重なり合う経験は、現代の衣類全体を見渡しても、決して多くはありません。
和綿を栽培し、ワタを収穫し、糸を手紡ぎし、織り機で着尺を織る永井泉さん
永井泉さんは、和綿の栽培から反物の制作までを一貫して行っています。
それは非常に手間のかかる営みですが、本人は過剰に力む様子もなく、淡々と、しかし楽しそうに取り組んでいるように見えました。

大地と向き合い、米や野菜を育て、作物として綿花を育てる。その綿花から反物を織り上げる。
「衣食同源」という言葉が浮かびます。
〈野衣〉という屋号には、その暮らしぶりがそのまま表れているように感じられます。
永井さんの反物の素材と工程について、ここから少し整理してみたいと思います。
そもそも和綿とは?
まずは素材となる和綿について。
和綿とは、アジア在来種のデシ綿のうち、14〜15世紀に日本に伝来した品種を指します。

(⇡和綿は下向きに弾ける。)
インド原産のアジア綿は、日本の気候では栽培が難しく、収量も安定しませんでした。
16世紀以降に普及し、江戸から明治にかけて栽培の最盛期を迎えますが、産業構造の変化とともに次第に姿を消していきます。
和綿は繊維が短く太いため、機械紡績には適していません。
そのため、糸にするには手紡ぎが前提となります。
現在、日本国内で流通する綿花の自給率はほぼゼロ。
和綿そのものを目にしたことのない人も多いのが現状です。
和綿の性質と色気
和綿は繊維が短く太いため、弾力があり、柔らかな触感を持っています。
手紡ぎの糸になることで、糸の内部に空気を含んだような独特の質感が生まれます。
和綿の着物を羽織ると、身体を包み込まれるような感覚があります。
強い主張はありませんが、静かに身体に寄り添う印象です。
手紡ぎ糸特有の痩肥のリズム、立体感。
永井さんの糸には、野性味と繊細さが同時に感じられます。

また、和綿特有の光沢も特徴的です。
絹とは異なる、内側からにじむような落ち着いた艶があります。
綿の着物に対する一般的なイメージとは異なり、和綿手紡ぎの布には、簡素さの中に奥行きがあります。

そして確かに、永井さんの和綿はすん、と心の底に響くような、しっとりとした光沢を持ち合わせています。
綿の着物というと安価なものというイメージがあるかと思いますが、和綿手紡ぎはまったく違います。シンプルだけど奥深い日本料理のように、深さがあります。
一言でいうなら好きだから。
永井さんがそう語った言葉が、強く印象に残っています。
永井さんは、これまで制作してきた反物の端切れをすべて保管しています。
その姿勢から、素材や工程に対する敬意が伝わってきます。

(⇡原料となる和綿。このあと、タネを取り、ほぐすことによって一層光沢が出てくる。)

栽培の難しい土地において綿花を育てること。永井さんに、どうしてそこまでするのか?と聞きました。
答えはシンプルで、「一言でいうなら好きだから。」
永井さんがそう語った言葉が、強く印象に残っています。

(⇡一面の綿花畑)
長い時間が織り込まれていくこと。
こうして収穫された綿花は、種を除き、ほぐして、それから糸を紡いでいきます。
糸紡ぎは反物という作品の土台となる工程で、糸の良し悪しが作品の質に直結することは間違いありません。糸は織物の用途によって、最適となるように紡いでいきます。
経糸と緯糸を両方手紡ぎ糸にすると、一反分の糸を紡ぐだけで一ヶ月ほどかかるそうです。
右手で糸車を回し、左手で綿を適度に重ねながら、求める生地の質に合わせて微妙なテンションをかけながら、細く長い一本の糸にしていく。その繰り返しを1日中して、それが数週間。

そこにある静かな時間。
糸紡ぎだけでなく、着尺の制作に要する長い時間、向き合う膨大な時間は、たしかに作品の中に織り込まれている、と見えます。

(⇡糸が美しい。)
飲食衣服は大薬
染色は草木染め。
近隣で採取した植物や、必要に応じて調達した染料を用い、何度も染め重ねていきます。

(⇡藍建ての様子。発酵させた藍の葉を水溶性の染料へと還元させる。藍染めには多くの工程、時間、職人の技術と勘が必要。)
中国最古の歴史書『書経』には
「草根木皮は小薬、鍼灸は中薬、飲食衣服は大薬」
という言葉があります。
日々何を食べ、何を身にまとうか。
それが心身に与える影響の大きさを示す言葉です。
綿花栽培から織りまでを一貫して行う永井さんの制作は、まさに生活そのものと地続きです。
〈野衣〉という屋号に、その姿勢が反映されているように感じます。

(⇡染料の紫根。華岡青洲がつくった紫雲膏には紫根が用いられた。)
手織りの良さ
反物制作において、機織りは工程の一部に過ぎません。
しかし、その仕上がりには、手織りと機械織りの違いがはっきりと現れます。
現在、市場に流通する多くの織物は機械織りです。
産業として存続するためには、合理性も必要です。
一方で、手紡ぎ糸は高い張力に弱く、手織りとの相性が良い素材でもあります。
手でシャトルを飛ばすことで生まれる微細な揺らぎ。
均質ではないが、破綻しないリズム。
音楽と同様に、人はこうした揺らぎに無意識の心地よさを感じ取ります。
手紡ぎ・手織りの反物は、現在流通している織物の中でもごく限られた存在です。


(⇡手織りによって、生地に表情が生まれる)

和綿(&手紡ぎ&手織り)というシン・スタンダード
希少な素材としての和綿。
手紡ぎ糸の質感。
自然染料による色。
手織りならではの奥行き。
かつて庶民の日常着であった綿の着物は、
現代においてはまったく異なる意味を持ち始めています。
歴史を継承しつつ、新しい価値として立ち上がる布。
多くの時間と工程を内包した工芸としての着物。
数は多くありませんが、農と制作を同時代に引き受ける作り手が存在していることは、静かな驚きです。
展示会の場で、ぜひ実物に触れ、質感を確かめてみてください。
なんでもないこと、としての永井さん。(あとがきのようなもの)
永井さんの制作工程を言葉にすると、途方もない作業に見えます。
けれど本人は、それを「特別なこと」として語りません。
自然を相手にする仕事には、思い通りにならない時間が常に含まれています。
待つこと、任せること、信じること。
永井さんの反物づくりは、作為というよりも、自然を別の形に翻訳する行為に近いように感じられます。
自然の声を、過不足なく伝えること。
外界の自然と、内なる自然が重なり合う地点。
その透明さこそが、永井泉という作り手の核心なのかもしれません。
©2025 離岸