柳下季器さんの窯元へ。オープンソースの開発。

柳下季器(やなした・ひでき)さんは、今焼、高麗もの、織部や志野などの和もの、茶陶にかんするものをひろく作っている。そつなく何でも、という感じではなく、それぞれに明晰な探求があり、数多くのトライ・アンド・エラーの繰り返しから、ひとつひとつの技法を自分のなかで咀嚼しているといったほうが近いだろう。多くの技法を扱える背景のひとつには、杉本さんとの協働がある。これについては後に触れよう。

柳下さんの窯は伊賀にある。伊賀市は四方を山に囲まれた盆地で、奈良や京都からそんなに遠くはないのだが、いくつもの山を越えてゆかねば辿り着けず、交通の便がいいとはいいがたい。忍者の隠れ里となったのも、都から近く、しかし道中は険しく辿りづらいという地理的な条件があったからだと、地形図を見るとよく分かる。

伊賀は、隠密のねぐらに適してるだけではなく、焼き物にも適していた。山中からは豊富な薪を得られ、古琵琶湖の堆積した耐火度の高い土が土中に眠る。都市の喧騒を一山か二山隔てて、いくつもの窯で火が踊っていた。

柳下さんがこの地を仕事場として選んだのは、そうした歴史性ゆえではないのだが、工房を含む伊賀一帯において、過去に伊賀焼の陶工たちが暮らし、仕事をしていたというほのかな感覚は、背中を押してくれるような感覚があるのではと推察する。歴史とは、そういう仄かな熱が続いていくということだ。

窯元は村はずれの立派な神社の隣にあるが、その神社に神主は絶えて無く、無人となった社で、地域の人々が協同して守っているという。ご自宅の脇に登り窯、楽焼き専用の穴窯など複数の窯を持ち、様々な技法、焼成を研究しながら作品をつくっている。窯を含む庭には、オリーブの木が植えられ、隣の岩には鳥よけのヘビのおもちゃがある。よく出来たリアル系のヘビで、実際に効果があるらしい。鳥は目に頼るし、警戒心も強いから、置いておくだけで近寄らないということだろうか。

柳下さんは、ある時に杉本貞光と出会い、そこからウマがあった、とはこういうことか、という感じで付き合いが始まり、やがて現在のように、焼き物の技法の共有、という作家間では珍しい関係が始まったという。どちらかが新しく良いやり方を見つけると、それを共有して、互いの技術とする。二人の間に技術的な隠し事はないらしく、このオープンソースの開発環境によって効率化がなされている。一人でやるよりも、二人でやると遥かに効率が良いのはそのとおりで、作家の作家性「以前の」純粋に技術的な(焼成や胎土に関する化学的な)基礎研究において風通しのよい共同作業がなされるのは、とても理にかなっていると思う。そもそも昔の窯業は、伊賀にせよ、信楽にせよ、唐津、萩にせよ、集団で仕事をしていたわけで、現代のように、ひとりの作家が孤独につくる、という環境とはまるで違っていて、そのなかで名品の数々が生まれているわけだから、むしろお二人の協働は、まさしく伝統的とも言い得るだろう。加えて、土探し名人の友人もおられるようで、こうした仕事における良い交友関係が、柳下さんの作品づくりを下支えしている。

結局、作家は最後は個人で自身の作品に責任を負うものであるが、柳下さんの作陶の過程におけるチーム性は、会社同士の付き合いのようでもある。柳下さんはよい人間関係に恵まれた、とおっしゃていたが、そうした出会いを引き寄せたのは柳下さんの人としての度量ややさしさのようなものが源泉であろう。

柳下さんの作家としての資質はもとより、それを最大限に引き出せる環境があること。工房でもなく、けれど孤立した個人でもなく、その両者のよい塩梅のなかで、柳下さんの作品は生み出されているようだ。

 

 

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