〈野衣〉和綿に包まれるという贅沢。

〈野衣〉和綿に包まれるという贅沢。

和綿。日本で古来より栽培されてきた綿花。


シルクのような光沢をもち、しなやかでふわふわ。なんとも気持ちがいいい。

 

 

繊維が太く、短いため、紡績機械では加工が難しい素材。

だから和綿は手作業で糸を紡ぐ。

手で紡ぐ糸は、手のリズムにしたがってゆらぎ、濃淡を生じ、空気を含む。

その立体感と味わい深さは、洋綿の既製服の平板な繊維に慣れきった感覚からすると、ほんとうに驚くべき芳醇さだ。

 

糸そのものからして、こんなにも違う。その糸によって織られた反物は、綿=安価でありふれたもの、という認識をふんわりと覆す。

 

 

絹の着物ももちろんいい。けれども和綿は、私達の風土と肌に、この上なくよく馴染む。

 

 

絢爛ではないけれど、確かな芯をもった衣を身にまとうという選択がある。
和綿の着物には、そうした佇まいが自然と備わっているように思う。

 

大地に近い感触、身体に沿うやわらかな重さ。
手紡ぎ、手織りの和綿には、安心感と同時に、時間の層のようなものが感じられる。

 

綿という素材は、ともすれば日常着として受け取られがちだが、
和綿を用い、糸から布へと人の手を重ねた反物は、その限りではない。
それは結城紬などと同じく、技と時間によって支えられた、静かな格を持つ布である。

 

 

この布が、茶の湯の席においても自然に受け取られるようになること。
特別視されるのでも、例外扱いされるのでもなく、
一つの正当な選択肢として佇むこと。

 

 

和綿の着物には、そうした可能性があると感じている。
それは、衣の価値を更新するだけでなく、
茶の湯の感覚そのものを、少し深い場所へと導くのかもしれない。


ブログに戻る