On the maker

谷穹

 

谷穹は信楽の陶芸家である。谷穹さんは古い信楽のものもよく研究し、その要素を自作に取り込んでいるが、古い信楽の形態のなかに、人に向けられたものというよりも、神仏、精霊、超越的なものとのつながり、その精神性を見ている。

歴史的にみれば、常滑から信楽が生まれたのであり、それはつまり、生活の必要・需要が、信楽に必要な技術とかたちを要請したということになる。

直接的に神仏に捧げるものではない信楽が、なぜ超自然的なものの気配をはらむのか。それはおそらく、当時の生活のなかに、意識しないほど当たり前に存在する超自然的なものとのつながりがあり、暮らしと不可分に結びついた神仏の存在が、形態にも浸透していると考えられるからである。

それは官製の祭祀に関係のあった須恵器の美とは違い、基本的には農民の美であろう。生活のための道具を作為なく、企みなく拵えること。それは必死なことで、またかつ単なる労働であり、そこに美への意識が介在する余地は(ほとんど)なかったはずだ。

無いのだが、それゆえにかえって溢れ出してしまう美がある。単に真面目に丁寧に作ること(から醸し出される美しさ)」では、無い。そうではなく、近くに神仏を感じること、キレイな空気と水があること、生かされていることへの感謝のあること。

道真の詩句にあるように、当時、人々の身近に精霊は確かにあったということだ。

 

ものを作るということが、必然的に、自然への、超越的なものへの感謝と祈りと深く結び合わされてしまうという条件。中世にあったそのような条件なしに、現代の我々は、農民の素朴さと精霊の存在が結びついたモノを作れるのだろうか。精霊へと迂回してから我々に届く道具というものが、あり得るだろうか。

谷穹さんは、そのように問うているように見えるのだ。

 

→谷穹の作品をみる