#2 なぜ書なのか

梶原靖元の表現の根っこを探る旅。#1の前回では、陶芸という技芸の概略と、この連載の方法論、つまり書を見ることとやきものを見ること、その往復運動によって梶原さんの根っこに近づくということ、について述べた。

第二回の今回は、本連載の核である書について考えてみたいと思う。なぜ梶原さんは書に接近していったのか。そもそも書とは、どういう技芸か。

まずはじめに、書そのものについて、考えてみよう。


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その前に、やきものの特性について、もう一度、振り返っておく。

やきものは、火の力によって、土に非可逆的な・決定的な変化を加えるものである。

 やきものとは、地球の長い時間を、人間の手のなかにいったん取り込み、火という文明の力によって、別の存在へと変える技術である。

言い換えれば、 自然(土)を文化(火)の側へと引き寄せる技術と言ってもいい。 火=文化によって、土=自然に、別の生命を与える技術が、陶芸である。

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書には、やきもののような火は関わらない。代わりに、そこにあるのは身体の運動(の軌跡)だけである。

手に持たれた筆は、そのまま身体の延長であり、手そのものである。

そして筆に付けられた墨は、メディウムというよりは、身体=手=筆の運動を、克明に記録するカメラのようなものである。

紙に筆が触れ、墨が定着する。手の動き、速さ、圧力、転回、勢い。

そうした運動は、直前の運動(とその軌跡)を絶えずフィードバックしながら、前に前にと進んでいく。書の運動はその場で身体によって思考された出来事の痕跡となる。

水のように流れていくひと連なりの線。それは身体という自然が剥き出しになった運動である。

わたしたちの体は、基本的に社会や文化に属するように規律訓練されたものだが、しかしその中には当然、社会や文化にに属さない「自然の部分」を抱え込んでいる。

書は、そうしたわたしたちに内在する自然(水)を、(書の訓練によって逆説的に)顕現させる営みである。そうだとすると、茶の湯で墨跡が尊ばれてきたのも宜なるかな、である。

そして、書には、実はもう一つの「自然」がある。それは何か。

文字である。

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理論的認知科学者のマーク・チャンギージーによれば、「文字は、人間の眼がもともと自然界のなかで見慣れていた形に似るように発達してきた」という。(この引用及び以下の議論はマーク・チャンギージー『ヒトの目、驚異の進化』 (早川書房、柴田裕之訳、2020)に基づく。)どういうことか。

わたしたち(の祖先)は、外界を認識するために、すぐれた視覚を多いに活用してきた。チャンギ—ジーの議論によれば、人間の視覚系そのものが、長い進化のなかで自然界の輪郭や接合パターンを効率よく処理するよう発達したのだという。

木々の枝の重なり、転折、岩などのものに隠れるように潜む動物、近くのものと遠くのもの重なり。

物体の角、枝分かれ、遮蔽、輪郭の交差など、こうした視覚的情報のなかには、L・T・Y・X的なかたちをした構造が繰り返し現れる。人間は、進化のなかで、こうした構造を手掛かりに物体や空間を認識する能力を獲得した(チャンギージーらは特に、こうした「輪郭の接合」のトポロジーが物体認識上、重要だと考えている)。

そして、ずっと後になって人類が文字を生み出す時が来るわけだが、このとき、人間は脳の認知機能の効率性から、文字の読み書き専用の領域を脳内に増設するのではなく、自然界の事物(風景)を認識するために獲得した「輪郭の接合」のトポロジーというリソースを再活用することにしたのだ。

このように、文字とは、自然から切り離された人工的な記号なのではなく、人間が自然を見る、その眼の働きの上に成立した文化なのである。(*)

アルファベットや漢字といった表面的な形態差・文化差をどんどん剥いでいった底に、「線が交わる」「分かれる」「伸びる」などという、人類共通の認識規格があるということになる。

つまり文字という文化の基底部には、その起源として、文化差を超えた〈人間の身体=自然界〉という自然がセットされているのであり、私たちは文字を通じて、文化と自然が薄皮一枚隔てて触れ合っているところを見続けているのである。

文字というものは、かつてわたしたちが夢見た自然の幻影が、形態素に還元されて回帰した、風景の亡霊なのである。

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上記の議論を整理してみれば、こういうことになる。

文字は、自然を底部に持つ文化であり、具象的なかたちを持つ抽象である。

書とは、自然が文化になろうとする、あるいは文化がふたたび自然へ還元されていく、その境目を露出させる技芸である。それは、地表に溢れ出る湧き水である。

水との戯れ。

自然と文化の汀で戯れるように、書の技芸は、漆黒に切り裂くひとつの閃光で、此岸と彼岸の交接と分離が露呈する現場を、うち開いてみせるのである。

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文化と自然。

抽象と具象。

その四つが一本の線のなかでほどけ、また結び直されていく。

書とは、その複雑な交差がもっとも露わになる場所だともいえる。

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さて、梶原さんは、なぜそんな書に惹かれ、長年の修練を続けているのだろうか。

そもそも、陶芸家は箱書きをするもので、そのために書の手習いをしている人も少なくない。

けれど梶原さんは、そんな必要のためにだけ書いているのではない。初めての書の展覧会を開くよりずっと前から、少なくとも十年以上、誰に見せるでもなく、毎晩のように書を書き続けてきた。

なぜか。



陶芸だけでは飽き足りなかったのか。やきものではできない表現が、そこにあったのか。


ただひとつ言えるとすれば——。

書から自分が跳ね返ってくる角度(と深度)、の気持ちよさ(難しさによる気持ちよさ)、だろうか。


やきもの、とりわけ薪窯や穴窯の仕事には、どうしても「他力」が入り込む。火の力だ。

もちろん温度の上がり方やピークの時間、そして下げていく過程、その全体や、細部の調整は、ある程度まで技術として、陶芸家が持っているものだろう。

けれども、窯の火は、そして焼かれるものは、すべて自然のものなのである。言い換えれば、土からして、ひとつとして同じもの(成形にしても、組成にしても)はないし、薪の種類、状態も、その日の気候や湿度、風向き、なにもかもがその時初めて出会う状況なのである。

それは経験と頼りに進む未踏のルートであり、どうしても、ままならなさが、消し炭とともに残る。(薪窯のなかでも、たとえば登窯のある部分などについては、しかしかなりコントローラブルだということも、同時に言えるのだが。)

自分ではないものに、超越的な力に、自らの作品を委ねること。それはある地点において自分を手放すことであり、自我を他者に預けることであり、自分という存在を差し置くことでもある。

世界における「どうにもならなさ」、自然に抗うことの無意味さ。窯の前に立つ者は、窯の支配者ではなく、むしろ、まれびとをせっせと歓待する亭主のように見える。

すべてを「アンダーコントロール」にすることを悦ぶ技芸ではない。自ら計らいを超えたアンコントローラブルな結果を受け入れることが、陶芸(穴窯)の仕事の範疇なのである。


それに比べると、書はあっけないほど単純である。

墨と筆と紙。たったそれだけで事足りる。陶芸なら、土を水簸し、こね、寝かせ、ろくろを挽くまでにさえ時間がかかる。けれど書は、紙を置き、墨を含ませ、筆を下ろせば、もう本番である。

さっと書く。おしまい。

もちろんそこにも、偶然はある。その日の身体の調子で、筆の運びはまったく変わる。天候も、墨の状態も、その時々でもあろろうし、その時のコンディションなどによって、筆の運びが思いがけない方向へ飛んで、その失地を回復するように当意即妙に置かれた動きが、ふいに現れることもある。

けれど、それでもなお、やきものに比べれば、直截な仕事ではある。

書は、わりと鋭角に、つよく、(書かれた)自分が(書いた)自分を照らすメディアなのだろう。行為から結果へのレスポンスがコンマコンマゼロ秒くらいであらわれ、その現れが即座に自分にフィードバックし、それがまた次の線へとつながる、その絶え間ない繰り返しのなかで生まれる。

火のせいにはできない。窯のせいにもできない。それに色も一色だ。

良いも悪いも、線の上に出る。力めば、力みが出る。「こうしてやろう」と思えば、その自我と作為のにおいが出る。

書には、正のフィードバックループによって、どんどん どんどん 自己の声(と習った「お作法」)が 肥大化 してしまう危険な罠もあるのだ。 そして昔からそのような「書臭い書」は広く忌み嫌われてきた(その渦中にいる界隈の人々を除いて)。

けれども梶原さんは、やきものの世界で長いあいだ、自分を手放す訓練をしてきた。火に委ねること。思い通りにしようとしすぎないこと。自分を差し置くこと。そうした訓練を、穴窯の仕事を通じて、ずっとしてきたから、安易にそのような罠に嵌まることはなかった(むしろ、梶原さん自身の性向に依るところも大きいだろうが)。


ただ、確かめたかったのかもしれない。

シンプルな道具で。黒と白だけの世界で。自分の「精霊」のかたちを、ありようを。

シンプルな媒介によって、楽しみたかったのかもしれない。 自分の自由さを、ままならないことも含めて、それも自由だと肯定しうる生き方を。

✑

梶原さんが、やきものにおいてつくろうとしてきたものも、洗練された文化の上澄みにある美ではなく、もっと地べたに近い、自然と文化とが交わる、その始まりの場所にあるものだったのではないか。

作為を離れ、「こうしてやろう」という自意識を抑え、子どもが遊ぶようにつくること。

自然と文化の境界へ、もう一度立ち戻ること。

そう考えると、梶原さんが書に惹かれ、長年にわたって書き続けてきたことも、偶然ではないように思えてくる。

やきものと書は、方法としてはずいぶん違う。一方は、土と火と時間を必要とし、最後には他力へと開かれていく。もう一方は、筆と墨と紙と身体だけで、その場で決着する。

けれど、その違いの奥で、ふたつの仕事は、どこか同じ場所を探している。梶原さんは、書という技芸のなかに、自分がやきもので探し求めてきたものと、通じる何かを見つけたのではないだろうか。

そして、その梶原さんが、書の世界で長く私淑してきた人がいる。

良寛である。

✑

良寛もまた、いくつもの境界をまたいで生きた人だった。

僧でありながら、寺を持たない。

高度な漢詩や書の教養を持ちながら、村の子どもたちと手まりをついて遊ぶ。

文化のただなかにいながら、その薄皮一枚下にある、もっと大きな自然へと開かれている。


だとすれば、梶原さんが良寛に惹かれたことにも、やはり何か理由があるはずだ。

次は、もう少し良寛の周りを掘ってみよう。

(続く。次回は〈梶原靖元の書を読む〉#3「良寛」です。)


(*)チャンギージーの議論は、「漢字とアルファベットの形が似ている」という意味ではない。彼が注目するのは、字形全体ではなく、その下にある線の接続構造である。たとえば、線が折れる、交わる、枝分かれする、別の線に突き当たる、といった L・T・X・Y 型の基本構造である。

漢字とアルファベットは、見た目も成立の歴史も大きく異なる。しかし、そうした文化的差異を越えて、文字を構成する線の接続には一定の共通傾向が見られる。ABC と 漢字は「建築様式」はまるで違うが、「柱が交わる・枝分かれする・一本が別の一本に突き当たる」といった基本構造の使われ方と、自然界における物体の輪郭や重なり、分岐の現れ方と関係しているとチャンギージーは考えた。

つまり、文字の具体的な形は文化や歴史によって異なる一方、そのさらに深い層には、人間の眼が長い時間をかけて自然界の輪郭を見分けてきた経験がある。文字は自然をそのまま写したものではない。しかし、その成立の底には、人間が自然を見る仕組みそのものが潜んでいる、というのである。

実際、彼らは約100種の非表語的な文字体系と中国文字を別々に調べた。漢字は複雑なので、一字全体ではなく、その中に含まれる二本・三本の線からなる部分構造を全部拾うこととした。その結果、32種類の三線構造の「よく現れる順番」は、非表語文字と漢字のあいだでもかなり相関するという結果が出た(順位相関 R=0.69)。ただし、分布そのものには有意な違いがあることも明記されている。



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